「おばあちゃん、どうしておばあちゃんのご飯はおいしいの?」口に一杯頬張りながら瞳をクルクルさせて孫が言った。突然の言葉に私は嬉しさで胸が一杯になった。忙しい両親に代わって作る朝夕の田舎臭い料理に自信がなかったのに、孫の何気ない一言が私の不安を一発で粉砕し料理を作る喜びに変えたのだ。「人は人によって成長する」と言われるが、3才が63才に教えてくれたことで途端に食事作りが生きがいに変り日々が輝いたのだった。
家族との時間を大切にしていますが、毎日の家事や仕事で時間を気にせずにはいられません。小学生の娘がよく夕食の準備の手伝いをしたがりますが「今度ね」と我慢させてしまいます。そんな時にフィールで応募した料理教室に参加して一緒に料理をしました。娘の嬉しそうな笑顔を見れて心もお腹も満たされました。機会をくれたフィールと大切な家族に『ありがとう』
「いただきます。」「おいしい。」「ごちそうさま。」食卓で家族の言葉を聞くたびに、私は喜びを感じ、当たり前の日常に幸せを感じる。そして、この言葉を聞くために、私は今日も、食材を求めて、フィールへと出かける。喜怒哀楽、笑いも涙も含めて、毎日、台所に立てることにこそ感謝なのだ。手料理を喜んでくれる家族のために、さあ、今日も出かけよう。
2才の頃、フィールで迷子になった娘は、迎えに行くと店員さんに手を引かれ大泣きでした。謝りながら娘を見ると胸にしっかり苺のパックを抱きしめています。泣きながらも大好きな苺をはなさない娘にちょっと笑ってしまいました。「いちご食べたかったのぉ~。」おいしそうに家で食べていた小さな娘。今は23才になった娘と苺を食べるたびに、丈夫に成長してくれてありがとうと感謝します。
共働きをしていた母に代わって、ご飯を作ってくれた祖母。私が思春期の頃、祖母の作るおかずが年寄りじみて口に合わないと残してしまった私。それでも何も言わずに毎日作り続けてくれました。結婚して上げ膳据え膳のありがたさを知った時、祖母がどんな気持ちだったか気づかされました。近くのフィールに毎日通い、カゴ一杯にして楽しそうに買い物をしていた祖母の姿が目に浮かびます。気づかなくてごめんね。そしてありがとう。
「今日はね、学校でこんなことがあったよ」夕食を作る母の背中を見ながら、食卓で宿題をするのが小学生の頃の私の日課でした。忙しく食事の準備をする母へその日の出来事を話し、時に誉められたり、また窘められたりと、何気ない会話を通して親子の絆を深めていた様に思います。そして今、小学3年生の息子は夕食を作る私にその日の出来事を教えてくれます。ささやかだけど大切にしたい、家族の時間です。
夫の両親と同居して三年。おおよそ慣れたものの、食卓を任された当初は不安で一杯。好き嫌いの多いお義父さんも離乳食の息子も食べられるメニューに味付けを毎日必死で考えた。かつて私も祖父母のいる環境で育った。自分の母もこんな思いで料理していたのだろうか。思えば、どんなに忙しくてもご飯だけはしっかり食べさせてくれた。今更ながらお母さん、ありがとう。そして、今日も笑顔で残さず食べてくれる私の家族にありがとう。
我が家には、長男が2歳の時から、お世話になっている、メラミン製どんぶりがある。うどん、ラーメン、ごはんはもちろん、いちごミルクとデザートまで何でもOKの万能名脇役です。長男から次男。次男から三男。受け継ぐこと今や30年。時には、孫までも借用。現在25歳の三男。昔をなつかしむかのように今日も「山盛りどんぶり飯」を食している。これからも末長く、食卓を明るく、彩ってね。
単身赴任中の主人が自宅に帰って来るのは月に一度だけ。その日は朝から子どもたちと近所のフィールに買い物に行きます。子どもたちが「これ買っていい?」と聞くのは主人の好物ばかり。月に一度の家族揃った夕食は子どもの話を聞きながらあっという間に終わってしまいます。以前は家族全員で食卓を囲むのは「当たり前のこと」でしたが、「幸せなこと」だと気付きました。
自営業の彼と同棲を始めて2年。忙しいと半日以上何も食べずに仕事をしている彼を支えたくて作り始めたのが、片手で食べられるサンドイッチでした。夕飯のカツやコロッケを余分に作って挟んだサンドイッチを、彼は私の名前にちなんで「りさカフェサンドイッチ」と呼んで喜んでくれています。フィールのお惣菜のカツが1度だけ入っていたのは内緒…。あると頑張れると言ってくれたサンドイッチ。定番になった事が何より幸せです。